長野女子高等学校

NAGAJO DIARY今日のナガジョ

今日のナガジョ‐創立記念日‐

2016.05.21 Sat

 本日、5月21日は創立記念日につき学校はお休みです。本校は今年で創立91年目を迎えました。1925(大正14)年の開校以来、それぞれの時代における社会の要求に応えながらも、一貫して女子教育を行ってきました。今日はその長きにわたる歴史の1ページをご紹介したいと思います。

<創立記念日のナガジョ記事>
2014.05.21 vol.1
2015.05.21 vol.2

 本校は幾度かにわたり校舎移転と校名変更をしていますが、そのはじまりは1925(大正14)年、長野県庁前(南県町)の旅館「自彊館」(じきょうかん)の一室に「長野和洋裁縫女学校」を開校したところにあります。学校のはじまりは確かに1925年ですが、今日はあまり知られていない、本校が誕生する前の話を紹介したいと思います。
 本校の初代校長先生は、実のところ1925年以前から長野市の千歳町で「シンガーミシン裁縫刺繍教習所」を開いていたことがわかっています。シンガーミシンとは当時の代表的な輸入ミシンで、1920年代は「ミシンを英語でいうとシンガーだ」という冗談が通じたほどに、家庭用ミシンの大半をシンガー社(アメリカ)のミシンが占めていました。当時の裁縫教育はまだまだ手縫いが主流であったため、ミシンでの縫製は都市部を中心にとても需要があったと思われます。

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 シンガーミシン裁縫刺繍教習所では、『山田式洋服裁断法』という1920(大正9)年に山田鶴吉さんが発行した本(つまり教科書ですね)を用いて指導していたことがわかっています。写真の中表紙に「教師いらず乃さい断法」と書かれているのが面白いですね。この教科書には、和服から洋服まで様々な裁断と縫製の仕方が載っていました。この教習所が評判を呼んだことで、本校の創設につながったのかもしれません。そう思うと、遠くなるほどの歴史を感じますね。今日はその長い歴史とその間に培ってきた伝統に想いをはせたいと思います。(担当:係)

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