長野女子高等学校

NAGAJO DIARY今日のナガジョ

創立記念日のナガジョ

2018.05.21 Mon

本日、5月21日は本校の創立記念日になります。本校は今年で創立93年目を迎えました。1925(大正14)年の開校以来、それぞれの時代における社会の要求に応えながらも、一貫して女子教育を行ってきました。今日はその長きにわたる歴史の1ページをご紹介したいと思います。


<創立記念日のナガジョ記事>

2014.05.21 vol.1
2015.05.21 vol.2
2016.05.21 vol.3
2017.05.21 vol.4

 

創立記念日のナガジョとして毎年、本校の歴史を紹介してきましたが、今回は本校が位置する長野市三輪地区との関わりを紹介させていただきたいと思います。今回は少々、マニアックな内容になりますが、ご容赦いただければ幸いです。本校が旧県庁南隣の岡田町から三輪地区に移転させていただいたのは昭和32(1957)年になります。現在は本校グラウンドのある宇木本城39番地(三輪9-11-3)に、最初の校舎を構えました。本城は相木城の本城跡に由来するところです。諸説ありますが戦国時代の武田氏家臣もしくは在地の豪族の居城のあった場所になります(私は後者かなと思います)。旧校舎が建設されるまえは濠跡も確認できたそうです。そうした歴史の息づく場所に校舎を構えることができたのは、ひとえに地域の皆様の女子教育に対するご理解があったためと推察されます。【写真は「信濃国上水内郡宇木村全図」(年不詳、明治前期と推定)。赤い太線が北国街道(現:相ノ木通り)にあたります。現在の校舎は図中の神社左側「村裏」のあたりになります。長野県立歴史館所蔵】

 

       

そして、平成25(2013)年には50mほど北側で旧グラウンドにあたる三輪9-30-18へ移転し、現在にいたります。新校舎建設前の発掘調査により、校舎の下からは弥生時代や古墳時代の遺跡が多く見つかっています(長野女子高等学校校庭遺跡と言います)。土器はもちろん、長野市内の住居跡では最多となるビーズが出土したことでも有名です。【写真は発掘前と後、約1900年前の土器、256個のビーズ。すべて長野市埋蔵文化センターより】 

また現校舎の東側には宇達神社があります。宇達神社(「うたつ」もしくは「うき」神社)の歴史も古く、9世紀半ばには記録に登場してきます。また本郷駅の西側にあり、三輪の由来ともなっている美和神社も同様の時期には中央の記録にその名称が確認できます。ちなみに「三輪」の由来には諸説あり、奈良県桜井市の三輪明神大神神社を祀っていた古代の豪族三輪氏がこの地を開拓したという説が一般的です(美和神社の本家筋にあたるとされるのが大神神社です。はたまた善光寺縁起による説も有名で、三輪8丁目の「時丸寺」に伝わる大和国(奈良県)出身の三輪時丸に由来するというものです)。長くなるのでひかえますが、個人的にはどちらも違うだろうと思っています。【写真は左:宇達神社、右:美和神社「善光寺道名所図会 巻之3」(1849年)長野市公文書館蔵】 最近1・2年生が遠足で訪れた地附山には古墳があったり、ごく近所の浅川端遺跡からは朝鮮半島の馬形バックルも出土しており(大変めずらしい遺物です)、三輪地区を含む善光寺平北東部が古代の要地であったことは間違いありません。

 

    

最後に三輪地区の古地図と航空写真を載せておきます。「三輪たんぼ」と呼ばれた古代条里制の後もつい最近まで残っていたそうですが。現在はずいぶん市街地化、宅地開発が進みました。 いずれにしても、こうした歴史的な土地柄にある学校だからこそ、この地域で受け継がれてきた歴史や本校で長年にわたり大切にしてきた伝統と向き合えるようでありたいですね。先人たちへのリスペクト(尊敬)が学問の基本だと思います。さて、明日からの中間テストも頑張りましょう。【見えづらく恐縮ですが、写真は三輪地区の変遷】(担当:係)

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