長野女子高等学校

NAGAJO DIARY今日のナガジョ

創立記念日のナガジョvol.11

2024.05.21 Tue

 本日、5月21日は本校の創立記念日になります。本校は今年で創立99年目を迎えました。グランドフィナーレまで、あと1年まできています。1925(大正14)年の開校以来、それぞれの時代における社会の要求に応えながらも、一貫して女子教育を行ってきました。毎年、「創立記念日のナガジョ」では、その長きにわたる歴史をテーマに沿って紹介してきましたが、この記事でついにvol.11、11年目に突入いたしました。

<創立記念日のナガジョ記事>

2014.05.21 vol.1 【小林倭文先生】
2015.05.21 vol.2 【創立90周年特集】
2016.05.21 vol.3 【シンガーミシン裁縫刺繍教習所時代】

2017.05.21 vol.4 【学校文集『白梅』創刊号】
2018.05.21 vol.5 【学校と三輪】
2019.05.21 vol.6 【ナガジョ3択クイズ】
2020.05.21 vol.7 【私立学校設立認可申請書】
2021.05.21 vol.8 【校歌の誕生秘話】
2022.05.21 vol.9 【制服の歴史】

2023.05.21 vol.10 【校舎の変遷】

 11回目の今回は、白梅祭の歴史にフォーカスしてみたいと思います。
 今年(2024年)で白梅祭は69回目を迎えます。
 ここから逆算すると第1回目の白梅祭は1956年となります。しかしながら、当時から「白梅祭」と呼んでいたとは到底思えません。
 1956年は本校がまだ三輪の地にも移っておらず(県庁舎前の旧岡田町校舎時代です)、学校名も長野高等家政学校でした。実際に記録をみても、「白梅祭」の名称はどこにも見当たりません。
 では、いつから「白梅祭」と呼ばれるようになったのか。
  (写真は1948年の学芸会)

 そこで、学校文集『白梅』を創刊号からひも解いてみると、驚きの事実がわかりました。
  歴代の『白梅』や学校誌によると、本校では文化祭を、そもそも「展示会・バザー」と呼んでいたそうです。これは主に学校が主催するものでした。転機が訪れたのは、1972年。ここで初めて「文化祭」と改称したようです。

 そして、その翌年の1973年には「文化祭」を「白梅祭」と改称しています。当時の生徒会副会長は、「独自のマンネリズム化した文化祭を少しでも改善しようと名前を改称」したと『白梅15号』p.13で回顧しています。この時から学校ではなく生徒会が主体的に運営するようになったそうです。
 そのため、第1回白梅祭は、正式には1973年となり、今年の白梅祭は「第51回白梅祭」となるはずです。
 では、いつ「白梅祭」の回数は捏造(ねつぞう)されたのでしょうか。  

 ただ、『白梅』を追ってみると、1978年からは「白梅祭」が一旦消えて、「校内祭」と呼ぶようになっています。というのも、校内祭は白梅祭と体育祭を合わせた呼称のようで、同時開催をしていたようです。それがなんと、20年以上も続きます。
 『白梅』に初めて白梅祭の回数が登場するのは、「第33回白梅祭」です。1988年のことです。いきさつまではわかりませんでしたが、1988年に回数を捏造した蓋然性が高いと言えます。写真で確認できた最古は第35回でした。

その後の経緯を下記にまとめます。
  1992年 第37回 白梅祭 伝統の校門のアーチをはじめる
  1997年 第42回 白梅祭 独立実施 (体育祭はクラスマッチに改称)
  2006年 第51回 白梅祭 伝統の弁論大会が終了
  2012年 第57回 白梅祭 9月開催から7月開催に変更
  2013年 第58回 白梅祭 新校舎での開催
  2020年 第65回 白梅祭 中止(コロナ)校内動画発表

 ということで、白梅祭の歴史、いかがでしたか。 捏造というと聞こえが悪いのですが、言い換えれば「工夫」です。
 「白梅祭」と改称したのも、「校内祭」としたのも、回数を冠したのも、その時、その時の文化祭を盛り上げるKUFUだと思います。
 今年の白梅祭は伝統に想いを馳せながらも、過去に例のない工夫を見せてほしいなと思います。期待しています。
 

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